「自分がいやな人間だってわかってる」泉ちゃん。でも、中学の友達、バイト先の店長、元カレ…彼らにとっては特別だった。小野寺史宣が人の愛おしさを描く最新作

文芸・カルチャー

更新日:2023/5/17

みつばの泉ちゃん
みつばの泉ちゃん』(小野寺史宣/ポプラ社)

“普通”って、なんて愛おしいのだろう。小野寺史宣さんの最新作『みつばの泉ちゃん』(ポプラ社)は、片岡泉というひとりの少女が小学生から大人になるまで、彼女がかかわった人たちの視点で描かれていく物語だ。人並みにいい子で、人並みにめんどくさくて、人並みにずるくてだめなところもある泉ちゃん。まったく特別ではない彼女のささいな一言や行動に背中を押されて、自分の生活をほんのちょっぴりいいものにしていく周囲の人たちの姿に触れながら、ああ、人ってこうやって生きているんだよな、ということがしみじみ沁みる。

 小学3年生のころ、家庭の事情で祖母の家にひとり預けられていた泉ちゃんが、よくおつかいに行っていたコンビニのおねえさん。中学時代、じゃんけんに負け続けて望みもしないのに入った創作文クラブで出会った、自分とはまるで違うタイプの、文才のある友達。泉ちゃんに溺愛されている年下の従弟。高校を卒業してバイトしていたアパレルの店長に、喧嘩別れした元カレ。

 彼らを通じて語られる泉ちゃんは、自分の気持ちにとても正直で、楽しいことがないなら自分でつかみにいく朗らかなポジティブさがあるから、基本的に周囲を幸せにするけど、こうと決めたら一歩も引かず、たとえ相手に嫌われたとしても意見を曲げない頑固さもある。でもだからといって、特別に変わっているというわけでもなく、クラスにひとりはいるよな、ああいう物怖じしなくて自由な子、という程度の印象である。

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 だから、泉ちゃんのおかげで語り手たちの何かがいいほうに変わったのだとすれば、それはきっと、語り手たち自身がいいものを受け止めて活かす力があるからだ。

 とくに印象に残っているのは、バイト先の店長と元カレだ。ただ売るだけでなく、買わないお客に対してもひとりひとり誠実に向き合う泉ちゃんの働きぶりに気づいた店長は、彼女を正社員にするため働きかけるだけでなく、人に信頼される仕事をするというのはどういうことなのか、改めて見つめ直す。それって、すごいことだと思う。しかも店長は、だからといって他の従業員を比較して貶めることもしないのだ。

 元カレに関しては、2人が別れる原因となった喧嘩はどう考えても泉ちゃんが悪いと思うのだが、最後にひどいことを言ってしまったことを気にする彼が、手痛い別れを学びに変えて前に進もうとするところがとてもよかった。どんなに好きでも、相性がいいように感じられても、ほんの少しのきっかけで破綻し、道をたがえてしまう。でも、一緒にいたその時間がなければ、次に出会う人といい関係を紡ぐこともできなかった。そんな、恋愛ってそういうものだよね、という実感も。

 世の中で目立つものすごい人ではないけれど、誰かにとって人生のある瞬間、誰よりも特別だった大切な人。そんな泉ちゃんにとっては語り手たちもまた、同じ。人はそうして、自分だけの特別を積み重ねて人生を愛おしいものに変えていくのだと彼らの姿を通じて、思う。傍から見たらものすごく普通で、平凡そのものだったとしても、自分だけが知っている特別な輝きを大事にしながら、人はじぐざぐと前に進んでいけるのだと、小野寺さんはいつも教えてくれる。

文=立花もも

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