引退間近!? の筒井康隆の青春SF小説『時をかける少女』。50年以上前の「タイムリープ」作品が今も愛される理由

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/10

時をかける少女(角川文庫)
時をかける少女(角川文庫)』(筒井康隆/KADOKAWA)

 物語を読み終えた後も、しばらく辺りに甘い香りが立ち込めているような気がした。放課後の実験室、壊れた試験管の液体から漂う香り……。読み手であるはずの私も、主人公と一緒に時間旅行を、そして、切ない恋をしたような気持ちにさせられる。

 そんな物語が、半世紀以上にわたって読み継がれる、筒井康隆の傑作ジュブナイル小説『時をかける少女(角川文庫)』(KADOKAWA)だ。1967年に刊行されてからというもの、2006年公開の細田守監督によるアニメ映画のほか、幾度となく映像化されてきた物語だから、小説を読んだことがない人でもその名前は知っているだろう。私が初めてこの小説を読んだのは、小学生の頃だっただろうか。久しぶりに読み返してみて、驚かずにはいられなかった。実はこの文庫は3作の短編を収めた作品集で、「時をかける少女」は、たった100ページほど。こんなにも短い物語なのに、なんて深い余韻を与えてくるのかと、圧倒されずにはいられない。

 主人公は、中学三年生の少女・芳山和子。土曜日の放課後、誰もいないはずの理科実験室で物音を聞いた和子は、割れた試験管から流れ出た液体の甘い香りを嗅いだ途端に気を失ってしまった。やがて目を覚ました彼女は不可解な事件に次々と遭遇することになる。

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 どういうわけか和子には「テレポーテーション(身体移動)」と「タイム・リープ(時間跳躍)」の能力が宿ってしまったらしい。彼女は、普通ならば戻ることなどできるはずのない時間軸の枠を超えて、過去の時間をもう一度繰り返してしまう。今となってはSFではよくある設定だが、半世紀以上前に描かれた物語だというのに、この作品は、ちっとも古びない。なんという没入感なのだろうか。和子と一緒に奇妙な出来事に巻き込まれたような気持ちにさせられてしまう。

 どうしてこんなにも没入感があるのかといえば、不可思議な経験をする和子の不安が巧みに描き出されているのはもちろんだが、その経験一つひとつに、一定の理論が与えられていることも大きな要因だろう。たとえば、和子から相談を受けた福島先生は熱心に語る。「科学というものは、不確かなものを確実なものにしていかなければならないためのその過程の学問なんだ。だから、科学が発展していくためには、その前の段階として、つねに不確実な、ふしぎな現象がなければならない」と。そして、先生は、和子が経験したような事件が世界で起きていることを詳らかにするのだ。その鮮やかな説明を聞いていると、和子の突飛にも思える経験は、決してありえないことではないように思えてくる。誰だって経験しうる出来事なのではないかと思えてくる。

 そして、圧巻なのが、クライマックスだ。和子は、自分にどうしておかしな能力が与えられたのか、その理由を知る。そして……。

 ——いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ……。
 どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に……いつか……どこかで……。

 最後のこの文章を読んだ時、ドクンと胸が高鳴った。全細胞に鳥肌が立った。「もしかしたら、私も和子と同じ経験をしたのではないか」「これから、素晴らしい誰かと出会えるのではないか」と、そう信じずにはいられなかった。大切な何かを失ってしまった喪失感と、これから先の未来への期待感。それらが心の中に入り混じっていく。

 読めば、この物語が長年愛され続けた理由に気付かされるだろう。和子の物語は決して他人事ではない。自分も、和子のような運命の出会いを経験したいと、いや、自分もいつか経験するに違いないと、そう思わずにはいられないのだ。もし、まだこの作品を読んだことがないなら、これほど、もったいないことはない。この青春SF小説は、未来永劫読まれ続ける作品。時をかけて、多くの人に愛されてきたこの物語にあなたも、どっぷりとハマりこんでほしい。

文=アサトーミナミ

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