あと1週間で死ぬロリータファッション好き女子高生。主人公とヒロインの名前が一切出てこない異色の青春ラブストーリー

文芸・カルチャー

更新日:2023/12/12

ハピネス
ハピネス』(嶽本野ばら/小学館)

 小説家・嶽本野ばらの名前を見ると、高校時代に同じグループだった女の子を思い出す。彼女はロリータファッションに身を包んでいた。スカート部分にレースを重ねた白いワンピースとヘッドドレスを持ってきたかと思うと、私に着せ、いっしょに「ゴシックロリータの集会」に行ったこともある。私に嶽本野ばらという作家の存在を教えてくれたのは彼女だった。

 嶽本野ばらの小説に登場する少女たちはその多くがロリータファッションに身を包み、実在するロリータブランドが作中に多く登場することが特徴のひとつである。当時の私が好きだったブランド「Emily Temple cute」を知ったきっかけも嶽本野ばらの小説であり、2000年代前半、ロリータファッションに憧れる少女たちのほとんどが嶽本を知っていたのではないだろうか。

「周りにどう思われても、孤独でも好きな服を着る」

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 嶽本の小説にはそんな強さを持つヒロインが数多く登場する。また耽美的でありながら哀しい作風も、可愛いけれどもどこか陰りのあるロリータファッションを好む女性たちの心をつかんだ。私を「ゴシックロリータの集会」に連れて行った友人とは高校卒業後会わなくなったが、嶽本野ばらの小説は大学生になっても読んでいた。その中には、来年(2024年)、実写映画が公開される小説『ハピネス』(嶽本野ばら/小学館)もあった。

 本作のヒロインもロリータファッションに憧れていて特に「Innocent World」というブランドが好きだ。とはいえロリータのブランドは高価なのでアクセサリーやソックスなど比較的手ごろな価格帯のものしか買えないでいる。ところがある日、彼女は「ロリータさん」デビューを果たし、全身ロリータファッションに身を包んで、本作の主人公である彼氏とのデートに着てくる。なぜ彼女が高価な服を買って「ロリータさん」になれたのかは、本作の最初のセリフから察することができる。

私ね、後、一週間で死んじゃうの

 小説『ハピネス』では、最初から最後まで主人公とヒロインの名前が出てこない。語り手は主人公の「僕」であり、「僕」は自分の彼女であるヒロインを心の中で「彼女」と呼ぶ。実際に声を出してヒロインを呼ぶシーンは皆無だ。また、ヒロインは彼氏である主人公に語り掛けるとき「君」という言葉を使う。これは「僕」と「彼女」、ふたりだけの閉鎖的な世界観を表している。死ぬ前に娘に好きなことをさせてあげたいと願う「彼女」の両親だけ、ふたりの世界にそっと入ることがあるが、彼らも自分の娘や「僕」のことを名前で呼ばず、カップルの閉鎖的な関係を認めている。また、ふたりとも高校生なのだがほかの同級生や教師は登場しないのも特徴として大きい。ほとんどのシーンで「僕」と「彼女」はふたりきりで濃密な時間を過ごしている。「彼女」の死というタイムリミットが来るまで。

「彼女」を幻想的な存在として見る読者もいるはずだが、作者はもうひとつ設定を加えている。「彼女」はカレーライスが大好きなのだ。ロリータファッションとはかみ合わないような庶民性を象徴するカレーライスは、「彼女」が等身大の女子高生だということを教えてくれる。ヒロインが10代なのに死に直面しなければならない残酷さも、幻ではなく現実なのだ。愛する彼女の死を恐れる「僕」は、死ぬまでの数日で好きなことをしようと行動的になる彼女を案じるのだが、死ぬ運命から逃れることができないヒロインは、ただただ好きな人と好きな場所へ行き、好きな服を着て好きなものを食べたいと願う。

 ほとんどの嶽本小説には読者を引きずり込むような重さと美しさがある。本作は命の重さだけではなく、10代のカップルの愛の重さが、物語が終わってからも余韻となって残り続ける。こういったストーリーは大衆的ではないと見なされたのか、2006年の発表から映画化まで約18年の月日を要した。本作発表の2年前、嶽本小説としては例外的ともとらえられる明るくて軽快な『下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん』(嶽本野ばら/小学館)が実写映画になっていて、当時20代になったばかりの深田恭子と土屋アンナが主演を務めた。21世紀が始まったばかりのころ、世の中は自分の道を突き進もうとする少女たちに明るさを求めていたのかもしれない。『下妻物語』は大ヒットして国際的な評価も高かった。一方で嶽本野ばらの本領とも言える陰りのある美しさと哀しさが入り混じった小説は映像化しにくかったのではないだろうか。『ハピネス』はその代表格でもある。

 今回の映画版では「僕」にも「彼女」にも名前がある。他にも小説と異なる点はたくさんあるだろう。それ以上に気になるのは、本作の恋人たちの閉鎖性が映像でどう表現されるのかという点である。また、映画を機に初めて本作を読む人は、嶽本野ばら独自の世界観に夢中になるかもしれない。高校時代の私のように。長い小説ではない。タイトルの「ハピネス」の意味がわかる結末までいっきに読み進めてほしい。

文=若林理央

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