貧困と虐待から逃れるために、女子高生は体を売った――決して他人事ではない、現代社会の闇『ノラと雑草』

マンガ

公開日:2019/1/13

『ノラと雑草』(真造圭伍/講談社)

 自身の半径5メートル以内には存在していない、異質のものを見ては、自分には関係のない存在だと目をそらしてしまう人たちがいる。それくらいならば、まだマシな方だ。なかには、過酷な現状に喘いでいる人たちを指差し、「ただ甘えているだけだ」「自己責任だろう」と、上から目線で石を投げつける人たちもいる。その心ない言葉の裏側にあるのは、「自分には関係ない」「自分はそうならない」という慢心ではないだろうか。けれど、本当にそうなのか。

『ノラと雑草』(真造圭伍/講談社)は、近年問題視されている「貧困女子」にスポットをあてた、非常に哀しい物語だ。

 主人公となるのは、刑事の山田。彼はあるとき、違法な性的サービスを売りにするJKリフレの現場にガサ入れをする。そこにいたのは、さまざまな事情から体を売っている女子高生たち。そんななかで、一際目を引いたのが、詩織だった。彼女の目には光がない。この世のすべてに絶望しているかのような、闇に染まった眼差し。そしてなにより、詩織は山田が亡くした娘・こずえにそっくりだったのだ。

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 ガサ入れ以降、詩織のことが気にかかって仕方ない山田は、管轄外とはわかりつつも、詩織の家を訪ねる。そこで明らかになったのは、母親からの愛情の欠乏。詩織は虐待を受けており、家出をくり返していたのだ。詩織を救いたい。山田はその一心で、彼女に近づいていく。

 本作で描かれている詩織の現状は、悲惨の一言だ。家に帰れば母親から暴力を振るわれ、SNSで泊めてくれる男を漁る毎日。そうして出会う男たちは、みな詩織の体目当てであり、支配欲にも似た感情で彼女を抑え込もうとする。口では「君を助けてあげる」などと言うものの、そこにあるのは、詩織を「JK」という記号でしか見ようとしない薄汚い欲望だけだ。

 そして、この国に蔓延する「自己責任文化」を象徴するのが、母親が詩織に吐き捨てた次の言葉だ。

“全部アンタが悪いんじゃん”
“するなって事勝手にして 家出して 自業自得じゃん”

 確かに、詩織にも責任はある。けれど、彼女をそこまで追い詰めたのは一体誰なのか。詩織はまだ16歳。なにも理解していない子どもではないものの、ひとりで生きていけるほど大人でもない。彼女に対して、「自分が悪い」「甘えるな」などという言葉をかけるのは、本当に正しいことなのだろうか。

 本作で描かれる詩織は、決してぼくらの対岸にいる存在ではない。未来への希望を見失い、明日を生きる活力をなくし、泥水をすすりながら這いずり回る。そんな日は、誰にだって訪れる可能性がある。貧困女子が体を売る物語。これはメタファーであり、誰もが陥るリスクのある絶望を表している。だからこそ、彼女の生き様はこうも胸を締め付けるのだ。

 心やさしい山田と出会ったことで、詩織は希望を掴むことができるのか。現代の闇を描いた意欲作、これを絵空事ととるか、ドキュメンタリーととるかで読み心地は変わるだろう。

文=五十嵐 大