戦前のアンティーク/きもの再入門⑨|山内マリコ

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/10

きもの再入門

戦前のアンティーク

 きもの収納の大半が戴き物で埋まっているわたしは、迂闊にきものや帯を買って、物を増やせない身。街できもののお店を見かけても、入りたいのはやまやまだが、入ってしまうと必ずなにか欲しくなってしまうので、そっぽを向くようにしていた。

 ここでいう「きもののお店」とは、立派な呉服店ではなく、アンティークきもの屋さんのこと。きものと言ってもいろいろだが、わたしが好きなのは戦前の、いわゆるアンティークきものなのだ。

 

 “戦前”は明治維新から第二次世界大戦での敗戦まで、七十七年もの期間を指す。とくに明治は四十五年と長いが、おそらくまだまだ江戸の名残りが強かったと思われる。

 では江戸はどんなだったかというと、江戸文化に精通した漫画家、杉浦日向子の本を読んでいて、こんな言葉を見つけた。

「江戸の町は雀の羽色をしている」

 江戸の色調は、くすんだ茶系だったようだ。深川江戸資料館や下町風俗資料館へ行くと「たしかに!」と膝を打つのだが、家や建具だけでなく道具や日用品まで、木材をフル活用しているので、木の色合いで統一されているのだ。しかも物を使い込むので木が経年変化して渋みを増し、グラデーションがつく。雀の羽とは言いえて妙なり。もちろん着るものも同様。「道行く人々の衣類も、黒、灰、茶中心での雀色で、その柄は、無地感覚の小紋や縞が好まれている」。江戸も明治も庶民の普段着は、木綿に黒い掛衿が主流だったんじゃないかと思う。

 次第に西洋趣味と融合し、化学染料が登場したことで、きものはどんどんデコラティブになっていった。大正~昭和初期になると、スズメどころかインコやカワセミ、クジャクといった鮮やかさ。わたしが好きなのはそういった、ちょっと派手めなきものなのである。

 

 画家の高畠華宵や加藤まさを――“女学生文化”を作った彼らの描く少女たちが着ているカラフルな、くったりたっぷり、柔らかそうなきもの、あれが好きなのだ。全身柄物の奇抜な着こなしなのに、不思議とけばけばしい感じはせず、優美で抒情的。ジャパニーズ・Kawaiiの源泉ともいうべきラブリーさ。多様な色といい突飛な柄といい、きもの文化の爛熟期を感じさせる。できればこの時代のきものだけで、ワードローブを一杯にしたいくらい。

 

 ところが、うちのディノスの桐箪笥にある戴き物はどれも、戦後の昭和きもの。柄行きから風合いから、アンティークきものとはまったく別物だ。生地がしっかりしていて、質感もずっしりどっしり、生真面目で、なんだか野暮ったい。

 好きなものと持っているものがちぐはぐ。このミスマッチのせいで、一時期は本当にきものから遠ざかってしまい、単なる“保管者”になってしまっていた。けれど一体どうすれば、「肥やし」と化してしまったこのきものたちを、再び着る気になるのか……。

 

 結論から言うと、答えは帯揚げだった。

帯揚げに夢中

 帯揚げは、帯の上にちょこっとだけ出る、小さな面積の布のこと。横長の大判スカーフといった代物だ。背中にしょった帯枕を包み、脇を通して胸下でからげて、帯の上辺にきゅっきゅっと入れ込んで、きれいに収める。ぱっと見、まるで存在感がない。なにしろ見える部分が極端に少ないのだ。

 帯揚げを帯にかぶせるほどたっぷり出すのは振り袖のときくらいで、なんなら「見えない」くらい帯の中に押し込めるほうが、粋で大人っぽい着こなしとされている。アイテムとしても後回しになりがちだ。きものや帯に一目惚れして衝動買いすることはあっても、帯揚げを衝動買いというのは、あまり聞かない。わたしも、布っきれにお金を出すのを惜しみ、ほとんど数を持っていなかった。

 

 ところがある日、散歩していて気になるお店を見つけた。ふらっと入ると、そのものズバリのアンティークきもの屋さんだった。衝動買いを恐れて長年入っていなかったのだが、うっかり足を踏み入れてしまったが最後、気づいたら店内のあちこちを、クンクン鼻で嗅ぎ回る犬のように物色していた。

 

 アンティークきものや帯は、一発芸的な魅力がある。ピンク色のファンタジー感ある色調だったり、動物がモチーフとしてデカデカと描かれていたり。あまりにもキャッチーな可愛さなので、「うわっ!」と驚いて、心を鷲掴みにされ、動けなくなる。

 そりゃあコーディネートの汎用性を考えると、問答無用でグレーの江戸小紋こそ、持っておくべき一枚なんだろう。どんな帯にも合わせられて、格の高い場にも着て行ける、大人のきもの。わたしも次に反物を買うなら、江戸小紋かなぁ~などと思っている。

 しかしそれでもなお、四十路を過ぎたわたしの心に棲むモガが、「江戸小紋はあとにして! アンティークきものをもっと見せて!」と叫ぶ。気づいたら、たまたま入った店の中を、ガサ入れのように見て回っていた。

 はっきり言ってどれも素敵。全部欲しい以外の言葉がない。ここから選ぶなんて不可能でしょう、だからなにも買わないのが正解なのだ……そう思ってすごすご帰ろうとした瞬間、籠に盛られた古布に目が留まった。ややや、これはもしかして。

 

 アンティークきものの端切れを、ちょうど帯揚げにできる大きさに切ったものが、籠にぎっしり並んでいた。お値段は一枚二~三千円ほど。それを見た瞬間、久しぶりにわたしの血が滾り、買い物スイッチが深く「ON」に押し込まれた。

 帯揚げなら収納の場所も取らないし、値段も高くない。アンティークのきものや帯はおいそれとは買えないけれど、帯揚げに使えるアンティークの端切れなら、いくらでも買える!

 

 かつてこれだけ気軽に、きもの回りの買い物ができたことがあっただろうか。

 お金のことも、収納のことも、ほかの手持ちとの組み合わせのことも考えず、ただ心の赴くままに、あれもこれもと好きなだけ、タガが外れたように見繕い、買いに買った。一見客の突然の爆買いにお店の人もちょっと引いていて、わたしのテンションが怖かったのだろうか、おまけしてくれた。それでも二万円いかないくらいの金額だった。

コーディネート無限大

 今年の初詣、何年ぶりかできものを着て行こうと思い立った。自分で着付けできるかどうか自信はなかったが、昔取った杵柄で、なんとかがんばった。

 紬は義祖母のもの、青地に椿のお太鼓柄の名古屋帯は母のもの。その中間に、自分で買ったアンティークの帯揚げが挟まる。おそらく元は振り袖の“袖”だったと思われる端切れだ。卵色やごくごく薄い葡萄色が混ざり合う淡いベースに、野の花が優しいタッチで描かれている。

 このワンクッションが挟まるだけで、全体の印象ががらりと変わった。面積は小さくても、ほんのちょっぴりでもアンティークきものの質感が足されるだけで、ぐっと自分好みのコーディネートになる! これに気づいた瞬間、箪笥の戴き物きものたちが、宝の山”に変わった。

 

 「君たちなぁ~微妙なんだよな~ありがたいけどさぁ~」と思っていた、戴き物きものたち。母の嫁入り箪笥から厳選した、それなりに思い入れはあるが、いかんせん中途半端に古い、昭和四十年代の奥様きもの。それから、好みではあるものの、逆にド派手すぎて帯合わせに難儀していた祖母のきもの。さらには義祖母からいただいた、ザ・上品きもの。使い勝手は抜群にいいけれど、どうにも年寄りくさい感じになってしまうので、テンションが上がらなかった。

 

 これらの雑多な、一見すると組み合わせ不可のきもの。それだって、間にアンティークの端切れを噛ませることで、具合よくまとまるのだ。これは発見だった。

 きものと帯の中間の、小さなエリア。あそこに橋渡し役が挟まることで、干渉しそうな組み合わせであっても、中和され、ちゃんとコーディネートとして成立する。帯揚げは、帯枕をカバーするだけでなく、そういう役割もあったんだ。そしてなにより、アンティークの端切れを帯揚げにすれば、ぐっと自分好みに!

 

 というわけで、今わたしの中のきもの熱は、再び、小さな炎を上げはじめている。

<第10回に続く>

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