国民の行動を制限する法案の成立を目指す徳川内閣。秀吉にはなにやら腹案が…?/ビジネス小説 もしも徳川家康が総理大臣になったら④

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/29

2020年。新型コロナの初期対応を誤った日本の首相官邸でクラスターが発生。混乱の極みに陥った日本で、政府はAIで偉人を復活させて最強内閣を作る計画を実行する。徳川家康が総理大臣、坂本龍馬が官房長官になるなど、時代を超えたオールスターで結成された内閣は日本を救えるのか!?

ビジネス小説 もしも徳川家康が総理大臣になったら
『ビジネス小説 もしも徳川家康が総理大臣になったら』(眞邊明人/サンマーク出版)

 少しの間があり、

「徳川殿におたずねしてよいか」

 先ほど、家康に従うと言っていた信長が唐突に口を開いた。

 信長の言葉に一瞬、閣僚たちがざわめいた。信長という男には会話のリズムというものが存在しない。まるで彼自身の言葉ではなく神の啓示のように飛び出てくるようだ。

「なんなりと」

 家康は鋭い信長の視線を泰然として受け止めた。このふたりは長きにわたって同盟を結んだ仲である。裏切り、寝返りがあたりまえの戦国時代において織田徳川同盟〈8〉の結びつきの強さは奇跡的なものともいえた。もっとも、後半においては同盟というより、徳川が織田の傘下に入ったというのが妥当であろうが、それでも体面的には従属関係ではなく、あくまでも〝同盟〟であった。家康は信長と対等に意見を交換する仲であった。それは、完全な主従関係であった信長と秀吉のものとは違う。

 かつてのようにふたりは向き合った。

「一月の間というのはいかに?」

 信長は切り裂くような甲高い声で家康に問うた。龍馬は信長という男の厄介さを感じた。信長は極端に言葉を惜しむらしい。「一月の間というのはいかに?」という質問には「2年はかかるという病に一月、動きを止めたくらいでは意味があるまい」という本意が籠められているであろう。それくらいは察しろということらしい。

「心構えでござる」

 その信長の問いに家康は即座に答えた。それは斬りつけられた刃を、おのれの刃ではね返すような速さであった。

「心構え?」

 家康の言葉に信長はほんの少し頬を緩めた。薄い唇の端が軽く吊り、目が細くなる。

 家康はその信長をまっすぐに見据え言葉を続けた。

「この時代の民は平和に慣れ、自由を得ております。したがって、我らの時代のように死の怖れを知りませぬ。聞けばここしばらくは大きな戦も疫病などもなかったようでござりまする。病が過ぎ去るまで一歩も出るなというのは土台、無理な話ではござるが、いざという時に一糸乱れぬ動きをとることが肝要でござる。まずはこの時代の民にそのことを肝に銘じさせる必要がござる」

「よかろう」

 信長は頷いた。その信長の反応を遮るように、秀吉が大声をあげる。

「それにしてもこの時代は民のものが幅を利かせているのじゃの。病など、かかるものはかかる。かからぬものはかからぬ。死ぬ者はそこまでじゃ」

 秀吉の反応は多かれ少なかれ、ここにいるすべての閣僚たちと同じであったであろう。彼らにとって国民などは、とるに足らぬものである。その者たちのために自分たちが働かねばならぬなど思いもよらぬことであった。

「財務大臣殿のおっしゃる通りじゃ。病など恐れていては生きていけぬ。病が怖いものは家から出ねばよい。怖くないものは出て働けばよい。皆が同じように家に籠もるなど意味なきことじゃ」

 声をあげたのは外務大臣 の足利義満である。

足利義満(室町時代前期) 足利幕府の第3代将軍。徳川幕府と同じ15代の将軍を生んだが、足利幕府の時代は、戦国時代に入るきっかけとなり11年続いた応仁の乱を代表的な例として、ほぼ内乱の時代であった。その中にあってこの義満の時代だけが安定した時代であった。義満はその強烈なリーダーシップのもと懸案であった南朝と北朝の統一を行い、明との貿易により巨万の富を得て、金閣寺に代表される北山文化を生み出した。

 

 義満はでっぷりと太った身体をソファに沈め、坊主頭の赤ら顔をさらに赤く染め上げている。信長や秀吉に先駆けて天下を思うがままに扱った帝王は、馬鹿馬鹿しさこの上ないといった風情でため息をついた。

 その義満に対して綱吉が言葉を返す。

「助けられる命は助ける。助ける方法があるならば、なるだけ助けるようにするのが君主のつとめではありますまいか」

 この面々の中では綱吉は異色の存在といってよい。国民主権といった考えは無論、綱吉にはないが、生類を憐れむ、つまり〝命を大切にする〟という一点において彼の思想は現代とマッチしているといえよう。しかし、義満にはその綱吉の言葉は理解しがたいものであったらしい。

「度が過ぎておると言っておるのじゃ」

 義満は吐き捨てるように言った。綱吉はさらに言葉を返そうとしたが、その言葉を先んじるように洪庵が面を下げながら家康に具申した。

「おそろしい病であることは間違いありませぬ。この病に感染しても症状が出るまではしばらく元気に動けます。また、症状がまったく出ないこともございます。それゆえ、感染者は無自覚のまま行動し、他の者に感染させてしまうのです。他の者に感染させた自覚のないままに。よって、一度感染が広がってしまうと、尋常ではない速さで感染者が増えてゆきます。まずは病の勢いを止めることが必要なのでございまする」

 洪庵に対して家康はゆっくりと頷いた。

 彼らがここに復活した理由はこの感染症で混乱した日本を救うためである。そのことは彼らの思考に最重要事項としてインプットされている。

「おのおの方。我らがここに一堂に会したのはこの病という敵に打ち勝つためでござる。これは病との戦いと心得られたい」

「御意」

「御意」

 偉大なる神君の言葉に綱吉と吉宗が同時に頭を下げる。

「改めて申し上げる。心構えを徹底させねば戦は負ける。この一月は民に出入りを禁じる。徹底させよ。許可なき者は何人たりとも外に出させてはならぬ」

「そのことであるが」

 再び、信長が口を開いた。

「織田さま何か?」

「徹底させることは難しかろう」

 信長は口の端を歪めて低く嗤った。

「何ゆえでござる」

 家康は表情ひとつ変えずに問うた。龍馬は、従うと言った割にあれこれ口をはさむ信長の真意を測りかねていた。秀吉のいたずらっ子のような表情をみると、やはり信長が家康を試しているのであろうと思われるが、それだけではない信長なりの思考というものがその裏にあるようにも感じる。

「大久保」

 信長が怪鳥のような甲高い声をあげた。

 すると、部屋の扉が開き、長身の長い髭を蓄えた洋装の男が入ってきた。その男は背筋をまっすぐ伸ばし、大股で歩いてくる。大久保利通である。

大久保利通(幕末〜明治時代初期)  明治維新の指導者。西郷隆盛、木戸孝允(改名後の桂小五郎)と並んで「維新の三傑」と称される。明治政府では、41歳の時、岩倉使節団の副使として欧米を視察し、西洋の進んだ技術や文化を見て衝撃を受ける。帰国後は、内務卿として富岡製糸場をつくるなど、殖産興業による日本の近代化に向けて尽力した。享年49歳。

 

 龍馬はその男に視線を送ると、

「一蔵さぁ!」

 と思わず声をあげた。龍馬のよく知る男であったからだ。

 長身の男は、その特徴的な険しい表情を微塵も動かさず信長の前に平伏した。

「一蔵さぁ!わしじゃ!龍馬じゃ!おぼえちょるか?」

 風体は随分変わっているが、その男は、龍馬のかつての盟友、西郷隆盛と共に薩摩藩をまとめていた大久保一蔵に間違いなかった。

「経済産業副大臣、大久保利通でごわす」

 長身の男は喜びの声をあげる龍馬を無視して閣僚たちに挨拶をした。

「おまんさぁもここに来ちょったとは!懐かしいのう!!」

 大声をあげる龍馬を大久保はちらりと見たが、鉄面皮〈9〉と呼ばれた冷たい表情を動かすことなく、家康の前に進み平伏して話し始めた。

「こん時代は法がすべてにおいて優先されちょりもす。憲法ちゅうもんの範囲ん中でしか、政府といえども民に命令すっことかなかもはん。現状ん法では、民ん行動については要請しかできもはん。つまりお願いにとどまっちゅうこっです。さらに、そいを執行しきったぁ知事ん権限となっちょりもす」

「なんじゃそれは?それでは政府などただのお飾りではにゃーか!」

 大久保の言葉に秀吉が大仰に反応する。

「それがこの時代の決まりじゃ。致し方あるまい」

 信長は鼻で嗤った。

「これはしたり。上様のお言葉とは思えませぬ。お館さまならばそのような決まり、打ち壊してしまわれ、逆らう者はなで斬りにされましょうに」

 秀吉はさらに大仰に驚いてみせた。たしかに、生前の信長は自分の認めぬ慣習や伝統などはすべて打ち破り、それを壊滅するためには虐殺も厭わなかった。それが秀吉が畏怖した〝革命児織田信長〟である。その信長の口から「決まりだからしかたない」と出てくるのは秀吉にとって天地がひっくり返るようなものであった。

「筑前〈10〉」

「は」

「この場の差配はすべて徳川殿が決めればよい。わしにとって、このできごとは死後の暇つぶしのようなものじゃ。大して気ものっておらぬ。それより徳川殿がどうされるのかを楽しみにしておる。わし亡きあと、天下泰平をつくった男の手腕をみてみたいのじゃ。そのためにわしはこの時代の決まりの中でしか動かぬ。すべては余興じゃ」

 信長は家康を見た。

 AIによって、歴史の因縁が恣意的に判断に影響を及ぼすことは防がれているはずだが、信長という思考はそれを凌駕しているのであろうか。いや。家康の邪魔をせぬというところをみると、AIの抑制が効いているとみるべきか。

 家康は何も言わず信長に頭を下げた。

 一瞬、お互いの思考を読み合うようにふたりの視線が宙でぶつかり、火花が散ったかにみえたが、ふたりはまた平然と前を向いた。

「ははぁ……。そういうお考えもありまするか……」

 秀吉は毒気を抜かれたように、信長と家康を交互に見ながら呟き、その小さな身体をソファに沈めた。

「ちゅうことは一蔵さぁ、この時代ではお願いしかできんとなると……戦の心構えどころではないろう……勝手に外に出たり商売したりする者も叱れぬということかの?」

 龍馬は大久保に尋ねる。

「そういうことでごわす」

 大久保は龍馬の方を見ず、家康に向かって答えた。

「そりゃ困ったことですのぅ」

 旧知である自分を無視する大久保に対して、どうしたらいいものか戸惑いながらも、龍馬は閣僚たちに問いかけた。要請は、あくまでお願いであって命令ではない。そんなものを出す意味があるはずがないのだ。

 龍馬でなくとも、この時代のばかばかしい論理には首を捻るしかなかった。

「頼長殿」

 家康は法務大臣である藤原頼長に声をかけた。

「そのことじゃが、先だって総理大臣殿からご質問があっての。手がないわけではない」

 頼長は平安時代、栄華を極めた藤原家の長者として政権の中枢にいた男である。法を中心に据え、怠惰な朝廷の政治に対して強烈な綱紀粛正〈11〉を行った。その苛烈な性格が災いし、政変により無念の最期を遂げた。頼長はいわば日本史上において有数の法の権化といってもよい。その頼長が自信ありげに返答したのだ。

 龍馬は思わず身を乗り出した。

「ほう。それはどんな手じゃ?」

「江藤」

 頼長が声をあげた。

 その言葉に大久保の肩がぴくりと動いた。

 先ほど、大久保が入ってきたのとは別の扉から、小柄な和装の男が現れた。

 男は大久保をじろりとにらみつけると、大久保の隣に平伏した。

 江藤新平

江藤新平(明治時代) 明治政府の初代司法卿(法務省の前身である司法省の長官)。強烈な意志のもと新国家を作りあげようとしたが、政変に巻き込まれ、故郷佐賀の不平士族に担ぎ上げられて佐賀の乱を起こし、処刑される。日本史上、最後のさらし首になった男。その思想、性格、運命は法務大臣である頼長と驚くほどよく似ている。

 

「この者。わが法務副大臣に任命された江藤新平という者でおじゃる。法においてはこの者の右に出る者はおらぬ」

 頼長は頼もしそうに江藤を閣僚たちに紹介した。

「江藤新平でござります」

 江藤は短く挨拶をした。

「江藤はたしか大久保と同輩であったそうじゃの」

 頼長が大久保に声をかける。

「はっ」

 大久保は、短く返答した。しかし、その言葉は同輩に向けたものというよりは、敵に対する警戒心ともいえるものであった。それも致し方ない。江藤と大久保は明治新政府にあってことあるごとに激突した。法治国家〈12〉を目指し、薩長による藩閥政治を否定した江藤と、強力な政治力による富国強兵〈13〉を目指した大久保では志す国家観が違った。思考がまったく違うふたりであった。

「ほいたら、江藤さぁもわしと同じ時代のもんじゃのう!!」

 龍馬は喜んで手を叩いた。龍馬は明治政府ができる前に暗殺されたため、江藤のことは知らなかった。

「君が坂本くんか」

 江藤は、龍馬に視線を送った。

「君が用心を怠り、暗殺などされたため、薩長の者どもが政を私ごとにしたのだ。いい迷惑である」

「殺されたことを叱られるとは思わざった。おんしはおもしろいのう」

 江藤の皮肉に大久保はまったく反応をしなかった。大久保は本来、短気な男だが、若い頃からおのれの感情をセーブすることになれている。江藤の挑発を完璧に無視した。

「一蔵さぁ。わしがいなくなったあとにもおもしろい者がいっぱいおったんじゃろなぁ」

 龍馬はふたりの間をとりもつように言ったが、大久保はそれをも無視した。

 江藤はそれ以上、大久保に関わらず、家康に向かい平伏し、大声をあげた。

「この時代の法には解釈を挟む余地があります。憲法第9章にある緊急事態第98条の解釈を広げれば国民の生命、身体、財産を守るためには政府の強い権限をもって指示を行うことができると考えられます。今まで国民の行動を制限する権限まで解釈を広げた例はありませぬが、これに反対するものがあったとしても、止めるためには、裁判を起こし、この措置が憲法違反であると証明しなければなりませぬ。それには相応の時間がかかるでしょう。したがって、緊急事態宣言を拡大解釈のもと進めれば徳川総理大臣のお考えどおりにはできると思われます」

「あとはそのことを法律にすることが必要なのじゃな」

 頼長が江藤の言葉に補足した。

「その通りでございます」

 江藤は大きく頷いた。

「国民の行動制限まで盛り込んだ感染症特別措置法案なるものを閣議決定し、国会に諮らねばなりませぬ。反対する者もおりましょうが、これらはすべて多数決で決しますので、強引にすすめれば衆院1日、参院1日で決定できると思いまする。今は、政府側の方が大勢を占めておりますゆえ」

「江藤がその法案すでにまとめておりまする」

 頼長が懐から書面を取り、家康に渡した。家康はその書面に目を通し、静かに信長に渡す。

「江藤の案、おのおの方に見てもらおう。わしは、おおむね賛成じゃ」

「しかしあれじゃな。こげなことができれば、今までの政府も同じようにやっておったのかいの?」

 龍馬が江藤に尋ねた。

「いや。皆無である」

「そりゃまたなんでじゃろ?」

「この時代は戦ではなく、選挙というもので政を統べる者を民が決めるというしくみでござる。たとえそれが有益であっても民にとって不都合なことあらば、その不満が選挙の結果に出る。皆、それを恐れて民に不都合なことはせぬ」

 江藤の言葉に義満が心底呆れ返ったように、

「あほらしいしくみじゃな」

民が決めるなど正気かの。きちんと上の者が決める。それが政じゃ。いちいち民の顔色をうかがっとっては正しいことなどできぬ。なんちゅう世になってしもうとるのじゃ。なげかわしい

 秀吉も義満に賛同する。彼らの経験と思考には民主主義という言葉はない。龍馬や大久保、江藤らにはかろうじてその思想の萌芽というものはあるかもしれないが、現代の大衆に迎合せざるを得ない政治体制というのは非合理を超えてバカバカしくすらある。

「我らはこの時代の法の中でしか動けぬしくみになっておる。しかし、その法の中であれば、この時代のおかしなところあらば正してゆけばいいのではないか。それが我らに課せられた役目であると思うがいかに」

 頼長が、一瞬白けた座をとりなすように言った。

 家康は頼長の言葉に頷き、

「生きた者であれば、おのれの野心や欲望のために民に媚びることもするであろう。しかし死したわれらには関係ないことじゃ。この危機を救うことがわれらの仕事じゃ。強引であっても必要であれば断固として行う」

「ご英断にござりまする」

「ご英断でござりまする」

 綱吉と吉宗がすかさず頭を下げる。

「おみゃーらはいちいちうるさいわ」

 秀吉が綱吉と吉宗をからかった。

 その後、江藤の書面が全閣僚に回り、いくつかの修正点を確認したあと、家康は最終の確認を行った。

「おのおの方、これでよろしいか」

 閣僚たちは一様に頷いた。

「されば、この法案を閣議決定し、国会に提出し、速やかに可決す。法案成立後、ただちに宣言を行う。宣言後は、正信。警察庁長官に命じて、全警察を動かし、無用の外出を民がせぬよう取り締まらせよ。無断の外出を行った者は厳罰に処せ」

「承知つかまつりました」

「各都道府県への指示は、織田殿におまかせしたいがいかがでござろうか」

 家康は信長を見た。信長は、家康には視線を送らず、大久保に視線を向けた。

「よかろう。大久保。働け」

「承知つかまつりもす」

 大久保は表情ひとつかえず、信長に向かい頭を下げる。

 龍馬は、信長と大久保を見て、このふたりも似たもの同士じゃと小さく呟いた。このふたりを敵に回した者はとんでもないことになるであろう。ふたりとも徹底した合理主義者であり、人に交渉の余地を与えない激しさを秘めた冷静な佇まいは、どんな交渉上手な相手でもものの数分で匙を投げてしまうことになるのは必定だ。

「大権現さま。異国の者の取り計らいはいかにしましょうぞ。民に無理を強いる以上、異国の者に対しても厳しい処置を行わねばならぬと拝察します」

 吉宗が声をあげた。それにつづいて綱吉も、

「この病。もとはといえば異国より入ったもの。病を防ぐ以上、異国の者の立ち入りは厳しくせねばなりませぬ」

 と述べた。

「よいよい。わかった。この外務大臣たる足利義満が異国の者の件、しかと引き受けた」

 義満は鷹揚に答えた。さすがにかつて天皇をも超える権力をもった怪人である。義満のひと言ですでにことがなったかのような安心感が漂った。

「よろしくお頼み申す」

 家康は義満に頭を下げた。

「それでは……もろもろ、皆々さまよろしゅうござりますかいの?」

 龍馬が閣議を締めようとした時、

「異論はにゃーが、ちとあれじゃの。民に媚びるつもりはにゃーが、こういう時は暗いことばっかでは人心は掌握できぬのー」

 秀吉が鼻の頭を掻きながら大声をあげた。

 龍馬はややうんざりした面持ちで秀吉を見た。

 秀吉のその表情にはこの男特有のいたずらめいた、天性の閃きが宿っていた。

「どういうことでござるかの?」

 家康は静かに秀吉にたずねた。家康にとって、信長よりも秀吉の方がどこか苦手なようであった。秀吉は家康の言葉に我が意を得たりと立ち上がった。

「屋敷にわずか一月であっても一歩も出てはならぬとなれば、いわば籠城戦〈14〉じゃ。兵糧がなくなれば死ぬ者も出るであろう。戦であれば規律と同時に士気も上げねばならぬ。徳川殿。そのことわしに腹案があるのじゃが、わしに任せてもりゃーぬかの」

「よろしゅうござる」

 家康は即座に答えた。秀吉は家康の人生において、味方であり敵であり、主となったこともある。苦手ではあっても秀吉という男の能力を知り抜いている家康にとって迷いはなかった。秀吉もまた、家康が〝何をするのか〟といちいち聞いてくるような器の小さい男でないことは知っている。

 秀吉は破顔するや、龍馬を見た。

「坂本とやら。おみゃーが民に知らせる役目であったの」

「ほうでございますが……」

「その場にわしも出させてもろうても良いかの」

「かまいませんが……何をされるおつもりか?」

 秀吉は楽しくてしかたがないといった風情で身をよじった。

「まぁ。それはお楽しみじゃ。われらの胆力をこの時代の民どもに見せつけてやろうぞ」

 

〈8〉織田徳川同盟 別名、清洲同盟(きよすどうめい)。20年以上続いた信長と家康の軍事同盟で、〝戦国の奇跡〟とも言われている。

〈9〉鉄面皮 面の皮がまるで鉄でできているように、恥知らずで厚かましいこと。

〈10〉筑前 秀吉の呼び名。信長から拝命を受け、木下藤吉郎から羽柴筑前守秀吉に名前を変えた。

〈11〉綱紀粛正 国の規律を引き締めて不正を厳しく取り締まること。また、一般に規律を引き締めて、不正をなくすこと。

〈12〉法治国家 国民の社会生活が法律によって保護され、法に従って政治が行われる国。現代のほぼ全ての国が法治国家である。

〈13〉富国強兵 欧米に負けない強い日本を作ろうと掲げた明治政府のスローガン。

〈14〉籠城戦 城に籠もって敵の攻撃に耐え、味方の援軍を待つこと。籠城戦の末、劇的に勝利した有名な戦として、信長・家康連合軍が武田勝頼軍に足軽鉄砲隊で勝利した、「長篠の戦い」などがある。

<第5回に続く>