愚痴ツイートについた、返信とフォロー。相手はナナと名乗り…?/気がつけば地獄③

文芸・カルチャー

公開日:2021/5/3

気がつけば地獄』から厳選して全6回連載でお届けします。今回は第3回です。『レタスクラブ』での大人気連載がついに書籍化! 薄氷の夫婦関係、許されぬ恋、ありえない友情――その友情もその愛も、決して芽生えてはいけなかった。冷え切った関係の夫婦の前に現れたひとりの女。一体彼女は何者…? 予測不可能、衝撃展開のサスペンス!

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気がつけば地獄
『気がつけば地獄』(岡部えつ/KADOKAWA)

 ドアをそっと開け閉めする気配で、目が覚めた。祐一は気遣っているつもりだろうが、こっそりとされればされるほど、神経に障ってかえって冴えてしまう。

 隣に寝ている晴哉の様子を確かめてから、枕元のスマートフォンを見る。〇時を回っていた。ツイッターに誰かから新規フォローと返信コメントがついたという、通知メールが来ていた。滅多にないことなので、嬉しくて開いてみる。ナナという名前の人から、昼間に投稿したツイートへのリプライがついていた。フォローもしてくれている。アイコンは女性のバストショットだが、髪とサングラスで顔はよくわからない。SNSによくある「いい女風」の写真で、いかにも若そうだ。『お気持ちわかります。お荷物、早く戻るといいですね』という、同情的な言葉に癒やされる。

 一度画面を閉じ、闇の中で耳を澄ます。晴哉は隣で寝息をたてている。祐一はリビングでビールでも飲んでいるのだろうか、寝室の隣にある風呂場を使う音はしない。もう一度ツイッター画面を出し、ナナへの返信を書いた。

『はじめまして、ナナさん。リプとフォローをありがとうございます。宅配便の誤配達なんて、わたしは今まで経験したことがなかったので、びっくりしています』

 あのあと、配達指定時間が過ぎても荷物が届かないので、コウノトリ便のサイトを見た。驚いたことに、わたしの荷物は『配達完了』になっていた。あの新人配達員はここに誤配達をしただけではなく、わたしの荷物をよそに配達してしまったのだ。おそらく603号室だろう。荷物を取り違えたのだ。

 コウノトリ便に連絡するより早いと思い、わたしは送り状に書かれている『(株)ロクマルサン』の電話番号に電話をかけようとした。しかし、一度剥がしたときに破れてしまったところが数字にかかっていて、読めない。しかたなく、晴哉を連れて誤配達された箱を手に603号室へ向かった。

 自分が暮らす三階よりも上の階へ行くのは、はじめてのことだった。603号室の玄関には、送り状に書かれた『(株)ロクマルサン』の表札どころか、苗字の表札もなかった。チャイムを押しても反応はなく、ノックをしても静まり返っている。このマンションに宅配ボックスはないから、わたしの荷物は必ずこの部屋の住人が受け取っているはずだった。中身を確認したなら、すぐに間違いに気づいただろう。そこでわたしか宅配業者に連絡してくれていれば、今頃は互いの荷物を交換できていたのに、どういうことだろう。中を見ずに出掛けてしまったのだろうか。いつ間違いに気づくだろう。祐一の在宅中に電話を寄越されたり、来訪されたりしたら困る。

 わたしはいったん自宅に戻り、メモ用紙に「宅配屋のミスで、お宅の荷物を預かっています。うちの荷物はお宅にあると思いますが、これから留守にするので、明日またこちらから伺います。301号・中屋」と書いて、再び六階まで行き603号室のドアポストに入れた。

 そのとき晴哉が、

「ろく、ぜろ、さあん! ママ、ここタクちゃんち?」

 と、部屋番号の書かれたプレートを指差して言った。最近数字を読めるようになったので、得意になっているのだ。

「ううん、違うよ」

「じゃあ、ユナちゃんち?」

「ううん、そうじゃなくて、ただのご近所さん。ちょっとご用があっただけ」

 言葉もすっかり達者になって、うっかりできない。何でも祐一に話してしまう。

「ろく、ぜろ、さあん! ろく、ぜろ、さあん! ろく、ぜろ、さあん!」

 繰り返し言い続ける晴哉を引きずるようにして、家に戻った。だから、603号室宛の荷物は、まだこの部屋のクローゼットの奥にある。ただそれだけで、気分が落ち着かない。

 再び寝室のドアが開く気配がしたので、慌てて目をつむった。祐一が忍び足で部屋に入り、ベッドに潜り込む。風呂に入らぬまま、バスルームに続く洗面所に用意しておいたパジャマに着替えたのだろう。以前はどんなに遅くなっても入浴する人だったのに、最近わたしが寝ていると、入らないことがある。朝起きて、バスタオルが乱れて置いてあっても、その湿り具合や風呂場の様子を見れば、入っていないことなどすぐわかる。

 前に一度、安っぽい石鹸の匂いをさせて帰ってきたことがあった。深く考えもせずにそのことを口にすると、彼は、仕事で汗をかいたので同僚とサウナに行ってきたと言い訳した。性風俗のお店に行ったのではないかと勘繰ったが、喧嘩はしたくないので、それ以上何も訊かなかった。以来、彼が入浴しない日は、同僚とサウナに行ったのだと思うことにしている。

 ベッドが軋んだ。背中を、誰かの冷たい手で撫でられている気がする。今「お風呂、どこかで入ってきたの?」と声をかけたら、どんな言葉が返ってくるだろう。想像しているうちに、寝息が聞こえてきた。

<第4回に続く>