人気VTuber・天ノ川トリィの1ヶ月のギャラは2億円!? 金額を聞き、驚きを隠せない未来だが…/特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来④
公開日:2022/3/6
ふと未来は、ミレディ・スプリングフィールドを見た際の違和感の正体に気付いた。
天ノ川トリィはVTuberの中でも表情が豊か過ぎる。
グラフィックの美麗さもあるが、天ノ川トリィの最大の特徴は、ほとんど人間と同じレベルで、表情、行動、仕草が表現されている点だ。
棚町が、トーンの落ちた声で答える。
「昨日、弊所エーテル・ライブに送付された警告書を、私は寝ないでずっと読んでいました。何度読んでも『天ノ川トリィの存在は侵害だ』としか解釈できませんでした」
直後、微かに建物が揺れた。
立て続けに小さな地響きがあった。すぐに壁が揺れていると気づいた。
未来は地震かと思った。
「地震にしては局所的な感じですが」
棚町が、くやし気に目をつむった。
今度は、壁に巨大な鉄球でもぶつけたような振動が起きた。
「誰かが、壁でも殴っている?」
棚町が呟いた。
「やはり、でき合いのトラッキング装置では話にならなかったか。少し待ってください」
棚町は、スマホで誰かに電話をかけた。
「私だ。撮影は中止です。トリィが拳を痛める前にやめさせて下さい。今以上に生傷を増やさせてはいけない」
壁の振動は続いた。
「天ノ川トリィは武芸百般、あらゆる武器に精通した、天ノ川流殺法の開祖です。しかし一番の武器は、己の肉体を武器とした、天ノ川流拳法です」
急に現れた設定に、未来はついていけなかった。
棚町は、未来の心理を知ってか知らずか、続けた。
「さっきの動画、三十五人を叩きのめしたって信じていませんよね」
答えにくかったので、話題を逸らした。
「動画の視聴者は、信じたのですか」
意外にも、棚町は頷いた。
「トリィのさっきのライダースーツ姿でのアクション、動画を投稿した五分後に、截拳道がベースだってファンにばれたんですよ。合成ではあんなに完全に再現できない、とも」
截拳道にフランケンシュタイナーって技があったか?
考える間もなく棚町の背後の扉が轟音とともに吹っ飛んだ。
扉と共に、スキンヘッドにタンクトップ姿の大男と、空手の道着を着た短髪の男が廊下に吹っ飛んだ。
既視感があった。既視感の正体を確認する前に、扉がなくなり、防音機能が役立たずになったスタジオから悲鳴が聞こえた。
「やめろ、トリィ!」「取り押さえろ!」「トリィさん落ち着いてください! ぎゃああああ」
壁に人がぶつかる音がした。
棚町は未来のほうを向いたまま俯いていた。背中で悲鳴を聞いている。
棚町が困り果てた声色で懇願した。
「エーテル・ライブで見た一部始終について、他言しないと約束してください。他の条件は付けません。代理人費用も、言い値でお支払いします。彼女が、トリィが存在する自由を守って下さい」
棚町の言葉の意味を確認するため、未来はスタジオの中に足を踏み入れた。
スタジオはめちゃくちゃだった。もとは何があったのかもわからない。壁の鏡という鏡は全て割れ、スタジオの四隅に配置されていたであろうカメラや照明スタンド、その他の機材は倒れ粉々になっている。
機材と同じように、スタッフが重なって倒れている。ジャージ姿、ボクサーパンツ姿、道着姿などなど計八名、格闘家らしき姿のスタッフばかりだった。全員、完全にのされている。
未来の視界が異質な存在を捉えるまでに時間はかからなかった。
渦の中心に、一人の女性が背を向けて立っていた。
身長は百七十センチ程度。雰囲気からして二十代前半か。体にぴったりと張り付く、長袖の青いボディスーツを着ていた。スーツの背中は開いている。隙間から見える生身の体は、ところどころに傷があった。
長い黒髪を二つに分けて後頭部で結んでいる。
未来は思わず、呟いた。
「天ノ川トリィ?」
トリィの演者はゆっくりと振り向いた。
恐ろしく整った顔をしていた。肌は真っ白で、アーモンド形の目が、興奮で大きく見開かれている。
未来は完全に混乱した。
天ノ川トリィの演者は、動画の中で、電子の存在だったグラフィックスを、そのまま現実に具現化させた姿形をしていた。
未来の質問に対して目の前のトリィは、首をゆっくりと横に振った。
奇妙な話だが、未来は天ノ川トリィの演者と話しながら、天ノ川トリィの動画を見ている気分になった。
未来の心境を察したのか、棚町社長が声をかける。
「最初だけです。すぐに慣れます。VTuberの天ノ川トリィも、演者の天ノ川トリィも」
天ノ川トリィの演者は、ひびの入ったディスプレイを指さしながら怒鳴った。
「こんなの私じゃない! 今すぐ元のツールに戻して!」
響いた声は、三重の亀井製作所で少しだけ聴いた天ノ川トリィの声と完全に同じだった。