顔の現象学 (講談社学術文庫)
顔の現象学 (講談社学術文庫) / 感想・レビュー
ハイちん
他人の顔を見てぎょっとしたり、他人の顔を見ると落ち着かなくなったり、壁のシミに顔を見出したり、といった顔にまつわる現象ついて現象学の観点から論じていくという本。面白いのだが、怖い本だと思った。自分の顔を自分で見ることはできない。だから人は他人の顔に〈わたし〉の顔を写し取る。『表情』とは解釈されコード化された『だれでもない顔』であり、人がひげを剃ったり化粧をしたりするのも『だれでもない顔』になるための努力なのだ。模倣としての顔、他者のなかに埋没していくための〈わたし〉。そんなこと考えたこともなかった。
2016/08/22
ネムル
眼差しが出逢う時間的な出来事・現象学としての顔から、解釈・全体化の外部へと向けられたレヴィナスの非現象学的な顔を通過して、「見られることへの応答」を探る。着地点そのものは真っ当ではあるが、人類学や文学(顔文学といったら当然公房)、矢内原伊作にアウグスト・ザンダーと引用が多彩で面白い。その多彩さがそのまま顔の根源的な多様性への例証にも感じられてくる。
2020/07/21
すずき
鷲田清一の関心であるモード論のような顔の外面性から始まり、最終的にはレヴィナスに至る。エッセイのような評論のような、雑駁としていて何が問われているのかいまいちわからなかったのでもう一度レヴィナスあたりを読んでから(レヴィナスがまともに読めるなら再読するまでもない気はするが)再読しようと思う。
2020/03/12
sk
文字通り、顔についての現象学的な分析。読みやすく面白い。
2016/01/06
ミツ
再読。コム デ ギャルソンを着こなす哲学者鷲田清一の〈顔〉論。 目次の各章毎にエピグラフがついているのが素敵。 全体通して叙情的レトリックを用いた抽象的思弁が展開され、美しいが論旨が追いにくいのが難点か。 貨幣として、政治としての記号的な〈顔〉を中心に化粧や衣服、写真にまで話が及び、哲学に留まらず文化人類学や文学などの観点からも分析が成される。 「わたしには内包しえない絶対的に他なるもの」としての〈顔〉
2009/12/10
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