「幼児置き去り死事件」に隠された声にならない叫び。山田詠美が実際の事件から着想を得た小説『つみびと』

文芸・カルチャー

更新日:2023/5/3

つみびと
つみびと』(山田詠美/中央公論新社)

 最近では『A2Z』の映像化が話題の山田詠美氏が、30年以上に及ぶ作家生活で初めて実際の事件から着想を得て書いた小説『つみびと』(中央公論新社)。著者が事件のルポなどを読んだ上で描いたフィクションだが、事件に関わる人物の背景や心の深部に浸る経験を通じて、自らの価値観や行動を問い直すほどの衝撃が体に走る作品だ。

 2010年に起きた、23歳の母親が二児をマンションに置き去りにして餓死させた通称「大阪二児置き去り死事件」をベースにした小説。ふたりの幼子を放置して死なせ逮捕された母・蓮音と、彼女の実母である琴音、そして妹と共に置き去りにされる4歳の桃太という3つの視点から、物語は描かれる。

 罪を犯した蓮音の生育環境と、シングルマザーになり子を置き去りにするまでの過程、心情に加えて、その母親である琴音の人生と心の内も描かれる。蓮音ら3人のきょうだいは琴音からネグレクトを受けていて、その過去が蓮音の人生に影を落とす。しかし、琴音も少女時代、暴力的な実父と自らに性的虐待を繰り返す継父に苦しめられ、結婚して家族を持ってからもそのトラウマを抱えていた。

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 壮絶な過去と、追い詰められていくふたりの女性の心理描写は詳細かつリアルで、あまりの重苦しさに手加減を求めたくなるほど。しかしそれらの言葉ひとつひとつが、ふたりの周りの人物が重ねていったたくさんの「罪」の存在を、つまびらかにしていく。

 灼熱の夏、部屋に幼子を閉じ込め、水道へとつながるドアに鍵をかけて外泊を続けた行為は許されるべきではないが、そんな「あり得ない」行動が起きた必然性を感じてしまうほどの筆致の凄まじさに、圧倒される。彼女らの人生や心を深く描き切る覚悟からは、虐げられてきた者たちに対する深い愛情と、「小説だから伝えられること」を描くという、作家の強い使命感を受け取った。

 モチーフになった事件の発覚時、加害者となった母親が、その派手な写真や、子どもを置いて遊び回っていたという情報と共に強く非難されたことは記憶に新しい。著者自身も『つみびと』刊行時のインタビューで、当時、勧善懲悪の姿勢で母親を糾弾する報道に違和感を覚えたと語っている。

 罪を犯した彼女は、なぜ人に頼るという選択ができなくなったのか。愛する子どもが生きていけないとわかりながら、なぜ遊び続けていられたのか。報道を見る限りでは「自分には理解できない」で終わらせていた謎に、事件を物語の力で丁寧に解き明かす本作を読むことで、近づくことができる。自分の周りや世界を良くするために必要な想像力の蓋を、この物語が開けてくれた。

 悪い事件が報じられるたびに、高い場所から「信じられない」と口走ったきり、考えることをやめてしまう。そんな想像力の出し惜しみがいろいろな世界の不具合を招いていることを、本書は伝える。自分もあの事件を起こした「つみびと」のひとりかもしれないと、心が揺さぶられる小説。

文=川辺美希

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