今は亡き人気推理作家が作った“密室”。10年前、彼が披露した雪白館の「密室トリック」とは?/密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック①
更新日:2022/3/3
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雪白館は現在ホテルとして使われている。冬休みを利用して僕たちがそこを訪れることになったのは、ひと月ほど前に夜月が僕の自宅を訪ねてきたのが切っ掛けだった。訪ねてきた─、と言っても、彼女は頻繁にやって来るが。でもその日の夜月には確たる目的があったようだ。僕の入れたコーヒーを飲みながら、開口一番にこう告げる。
「香澄くん、私、イエティを探しに行こうと思うんだ」
とうとう気が狂ったのかと思った。
「えっと、イエティって」
「知らないの? UMA(未確認生物)の一種よ。大きくて毛むくじゃら─、簡単に言うと雪男ね」
いや、イエティが何かは知っているが。問題なのは、彼女がどうしてイエティを探しに行こうとしているかだ。
「ほら、私、けっこうUMAとか好きだから。オカルト雑誌の『ムー』だって、物心ついた時から買ってるのよ」
そういえば、読んでいるのを見たことがある気がするが。
僕は溜息を飲み込むようにコーヒーを口に含んだ。
「まぁ、とにかく頑張ってください」しみじみと、そう告げる。「イエティを探すのは大変だと思うけど、無事に帰って来られることを祈っています」
どうか、今生の別れになりませんように。幼なじみがイエティを探しに行って行方不明とか悲しすぎる。
すると、そんなしみじみとした僕を見て、夜月が呆れたように溜息をつく。
「何言ってるの、香澄くん。香澄くんも一緒に行くのよ」
何ですと、と僕は思った。
「……、僕にヒマラヤまで一緒に行けと言うのか?」
そこまで幼なじみへの愛は深くない。すると夜月は、再び呆れ顔で僕に言った。
「何言ってるの、香澄くん。行くのはヒマラヤじゃなくて埼玉よ」
とうとう気が狂ったのかと思った。
僕はごしごしと目をこする。自信満々な彼女の顔。どうやら本気で言っているらしい。何かの間違いであって欲しかったが。
僕はまじまじと訊く。
「えっと、どうして埼玉にイエティを探しに行くんだ?」
「もちろん、そこにイエティがいるからよ」
そこに山があるから、みたいに言う。
「……、埼玉にイエティがいるわけないだろ」
「それがいるのよ。だって、埼玉イエティだもの」
「埼玉イエティ」
何だか、Jリーグのチームみたいな名前だ。
「氷河期のころはね、日本と大陸は陸続きだったの」と夜月は得意気に言う。「だから日本とヒマラヤも、歩いて行き来することができたってわけ」
「それで、氷河期にヒマラヤから埼玉にイエティが渡ってきたってことか」
「そう、ありえる話でしょ」
絶対にありえないと思うが。
「というわけで、香澄くん。一緒に埼玉にイエティを探しに行こう」夜月は身を乗り出して言う。「きっと、一生忘れられない思い出になるよ」
確かに一生忘れられないだろう。埼玉にイエティを探しに行った思い出なんて。
「……」
僕は少しの間思案し、その結論に辿り着く。
まぁ、行くわけないよな。
当然のように、僕は断ることにする。すると夜月は僕にしがみついて懇願した。
「お願い、香澄くん、一緒に来て。私に一人寂しく旅行をさせるつもり?」
「いや、友達と行けばいいだろう」
「何言ってるの。埼玉にイエティを探しに行こうなんて言ったら、友達にドン引きされるじゃない」
「むしろ、お前にそんな常識が残ってたことに驚きだよ」
縋りつく夜月を振り払う。彼女は「ああっ」と声を漏らしたが、やがて床にへたり込んだまま、こほんと息をついて言った。
「聞いてください、香澄くん」
「はい」
「今回のイエティ探しは、ちゃんと香澄くんにもメリットのある話なのですよ」
僕は訝し気に首を曲げる。「僕にメリット?」そう訊ねると、「はい、メリットです」と床に座り込んだ夜月は言った。「リンスのいらないメリットです」少し古いな。
彼女は人差し指を立てる。そして得意気に僕を見上げた。
「何と、今回宿泊予定のホテルは、あの雪白館になるのです」
「雪白館?」
僕は小さく首を捻る。何だろう? どこかで聞いたことがある名前だ。
「ほら、香澄くんが好きな雪城白夜の」
「ああっ、あの館のことかっ!」
突然、テンションが上がった僕を見て、夜月が得意気に頬を緩める。小憎らしい顔で少しムカついた。僕はこほんと咳をする。
「なるほどね、雪白館に泊まる予定なのか」
と、冷静を装ってみたものの、やはり僕は興奮していた。
雪城白夜というのは本格ものの推理作家で、特に密室を得意としていた。七年前に他界しているけれど、今でも作品の多くが本屋に並んでいる人気作家だ。
僕もかなりのファンだった。代表作は『密室村殺人事件』か『密室館の殺人』のどちらかだが、真の代表作は別にある─、というのがファンの中での定説だった。ただし、それは小説ではない。テレビドラマでも漫画でも映画でもない。
実在の、事件だ。
今から十年ほど前、雪城白夜は自身の館に作家や編集者を集め、ホームパーティーを行った。美味しい料理に美味しいお酒─、そして白夜自身の人柄の良さ。パーティーは大いに盛り上がった。でも、そのさなか、事件が起きる。
それは些細な事件で、悪戯とも言えるレベルのものだった。誰かが傷つけられたわけではない。ただ館の一室で、ナイフで胸を刺されたフランス人形が発見されたのだ。
そしてその部屋は密室だった。扉は内側から施錠され、その部屋の唯一の鍵も室内から見つかった。しかも、ただ見つかっただけではない。鍵はプラスチック製の瓶の中に入れられていて、その瓶の蓋は固く閉められていたのだから。
通称、瓶詰の密室。
その事件が起きてからずっと、白夜は常に口元に、にやにやと笑みを浮かべていた。それを見て誰もがピンとくる。この事件の犯人は彼で、これはパーティーの催しの一つ─、主催者である白夜が仕掛けた推理ゲームであるのだと。
ならば、受けて立とうではないか。
居合わせたのは同業の作家や編集者。皆、密室には一家言ある者たちばかりだ。すぐに喧々囂々の議論が始まり、やがて即席の推理大会へと発展していく。
そのパーティーの参加者は口々に「楽しかった」と語っていた。そして最後に必ずこう付け加える。「もし謎が解けたのなら、もっと楽しかったんだろうけどね」
密室トリックは未解であった。
これが雪城白夜の本当の代表作─、『雪白館密室事件』だ。もちろん、刑事事件ではないから裁判沙汰にはなっていないけれど、三年前に起きた日本初の密室殺人事件よりも、実に七年も前のことになる。
十年間も崩されていない密室。
今でもミステリーファンの間では語り草で、現場となった雪白館は、ファンならば一度は訪れてみたい人気スポットとなっている。雪白館は今は他人の手に渡ってホテルに改装されているのだけど、現場となった部屋だけは当時の状態のまま保存されているという話だった。トリックの痕跡らしきものも残されているそうだ。
「……」
そして今回夜月はそれをエサに、僕を連れ出そうという腹らしい。小憎らしいが、僕は彼女の策に乗ってやることにした。雪白館は長期滞在の客─、具体的には一週間以上逗留する客しか泊まれないという少し変わったシステムになっていて、滞在するにはどうしても費用がかさむ。今回、夜月がどこからその費用を捻出したのかは知らないが、タダで雪白館に行けるというなら、こんなに旨い話もないだろう。そのついでに彼女のイエティ探しも、少しだけ手伝ってやろうと思った。