村山由佳、有栖川有栖ら7人が描く「猫」小説アンソロジー。種族の異なる生きもの同士の交流を描いた物語

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/21

猫はわかっている(文春文庫)
猫はわかっている(文春文庫)』(文藝春秋)

 現在私は、山奥の古い一軒家を借りて暮らしている。聞こえるのは鳥と虫の声のみ。だが、そこに時々「にゃあ」という声が混じる。そう、猫である。この家に越してきて間もない頃から、黒と白のハチワレ猫が連日我が家を訪れるようになった。警戒心が強い子なので、おそらく外飼いではなく野良猫だろう。ただ、ふらりとやってきては縁側でくつろいで帰っていく。猫好きの私は、そのふかふかした背中をこっそり眺めてはニヤニヤしている。

 そんな私が近頃思わず手を伸ばしてしまうのは、猫の小説アンソロジー『猫はわかっている(文春文庫)』(文藝春秋)だ。本書は、猫にまつわるさまざまな物語が楽しめる。余命幾ばくもない猫を引き取った雑誌編集者、各家をわたり歩く野良猫のように複数の名前を持つ女性、妊娠を機に猫アレルギーになった姉から猫を預けられる妹など、味わいがまったく異なる短編小説が7話収録されている。著者は人気作家として名高い、村山由佳氏、有栖川有栖氏、阿部智里氏、長岡弘樹氏、カツセマサヒコ氏、嶋津輝氏、望月麻衣氏の7名である。

 本書の中に、現在の私と似たような状況からはじまる物語がある。阿部智里氏による「50万の猫と7センチ」――本作に登場する茶トラの「ニャア」は、愛犬を亡くし悲しみに暮れる家族のもとに住みつき、あっという間に家族の心を鷲掴みにしていく。

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 ある日ふらりと現れた茶トラの猫を目にして、主人公一家はみな一斉に鼻の下を伸ばした。ふわふわの生き物が好きな部類の人たちは、その感覚に抗う術を持たない。ニャアは「さくらねこ」と呼ばれる地域猫だったため、主人公一家はご飯やおやつを与えることにした。ちなみに「さくらねこ」とは、動物愛護を目的としたTNR活動により不妊・去勢手術をされた一世代限りの地域猫である。術後、地域で守り育てる対象になった証として、猫の耳には小さな切れ込みが入れられる。手術中、全身麻酔がかかった状態で切れ込みを入れるため、痛みは皆無らしい。

 主人公ははじめ、ニャアのことを“ぶちゃいくな猫”だと思っていた。だが、一瞬にしてその感情はひっくり返る。

“窓を開け、恐る恐る私がいなばのCIAOちゅ〜るを差し出すと、そいつはそおっと近付いてきて、ピンク色の舌でぺろぺろし出した。
その瞬間、私はこの子は世界一可愛い猫だと思った。”

 猫に限らず、生き物がおいしそうに食事をする姿はどこまでも愛らしい。それが警戒心の強い野良猫ならば尚更だ。ニャアはこの一家に思う存分愛され、家族もまた愛犬の死から立ち直るきっかけを与えられて、互いに平和なひと時を過ごしていた。だが、そんな折、ニャアは野犬に襲われて大怪我を負ってしまう。

 種族が異なる生き物と暮らす人々は多く、そのほとんどが動物を家族の一員と認識している。家族が怪我をしたり病気になったりするたび、人はおろおろと慌てふためく。当たり前だ。だって、“家族”なのだから。ニャアの家族もまた、当然のようにおろおろした。いつの間にか育っていた絆は、ニャアの命と家族の笑顔をつないでいく。

“同じ地球に生きてはいるが、私達人間とこの子では、見ている世界は全く違う。それがちょっぴり重なりあって、奇跡的に交流が成り立った瞬間は、だからこそ尊く、こんなにもすばらしい。”

 そういう瞬間に立ち会った経験が、私にもある。あの尊さは、何物にも代えがたい。ほかの作品内においても、猫は重要なキーマンを務める。猫が好きな主人公だけではなく、猫を苦手とする主人公も登場する。いずれの場合においても、タイトルにある通り「猫はわかっている」。猫は往々にして「媚びない」「慣れない」と言われるが、実際には愛嬌がある賢い生き物だ。小説の中だけではなく現実においても、案外人間以上に多くのことを悟っているのかもしれない。

 先日、我が家に居付いている猫が友達を連れてきた。グレーの毛並みが美しい、上品な顔立ちの猫だった。その子は非常に懐こい様子で、会ってすぐにお腹を見せてきた。白と黒のハチワレ猫は、その様子を遠くから眺めていた。彼らもまた、「わかっている」のだろう。安全な場所、危険な場所、猫を好いている人、そうではない人。彼らに信頼されているなら、私もまだまだ捨てたもんじゃない。そう思う一方で、いつも叫びたくなる。神様、どうしてこんなにも猫が好きなのに、私は猫アレルギーなのですか。

文=碧月はる

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