雲を見上げ「お話を作ってみなさい」。楓の幼少期、祖父はそう言って想像の物語を紡いでくれた/名探偵のままでいて②

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/31

 あれほどに聡明だった祖父が、古希を迎えたばかりの年齢で認知症になった――

 楓としては、その事実をとてもすぐに受け入れることはできなかった。

 だが、自分なりにインターネットや取り寄せた資料で調べてみると、祖父の症状のすべてが、この病気のそれとことごとく符合するのだった。

 認知症患者の数は、日本だけで四百五十万人以上にのぼるらしいこと――そして、一口に認知症といっても、実はさまざまな種類があるということも初めて知った。

 いわゆる認知症は、およそ三つに大別される。

 一番多いのは患者数の約七十%にものぼる「アルツハイマー型認知症」であり、これはアミロイドβと呼ばれるタンパク質の一種が脳に沈着することで発症するらしい。

 世の中のほとんどの人々が認知症と聞いてまずすぐにイメージするのは、この型だろう。

 次に多いのが、脳梗塞や脳卒中の後遺症に起因する「血管型認知症」であり、これは認知症患者全体の二十%ほどになるという。

 どちらの認知症も、同じ話を何度も繰り返す記憶障害、時間や場所の感覚があいまいになってしまう失見当識――あるいは外を歩き回る徘徊といった症状が現れることが多い。

 そして――祖父が告知された「レビ―小体型認知症」――英語の〝Dementia with Lewy Bodies〟の頭文字をとり、DLBとも呼ばれる――は、全体の約十%を占める。

 この病名が付けられたのは一九九五年のことだというから、人類の長い病気の歴史からすれば比較的あたらしく発見された疾病のひとつだろう。

 近年、「第三の認知症」として注目を浴びており、医療現場はもちろん治験の分野でも、その病態の解明が急ピッチで進んでいるらしい。

 DLB患者の脳や脳幹には、決まって、ちいさな目玉焼きのような深紅色の構造物――レビー小体――が見られるという。

 そして、この「ちいさな目玉焼き」こそが、手足の震えや歩行障害といったパーキンソン症状であったり、レム睡眠障害と呼ばれる大声での寝言であったり、あるいは日中から眠ってばかりいる傾眠状態や、距離感が捉えられない空間認知機能障害を引き起こすのである。

 だが――

 DLB最大の特徴であり、他に類をみない症状は、なんといっても「幻視」だ。

 患者によってモノクロであったりカラーであったりとその見え方はさまざまではあるが、共通しているのは「ありありと」「まざまざと」「はっきりとした」幻覚が見える――という事実である。

 たとえば、朝、目覚めて目を開けたとたん、部屋の中に十人もの人間たちが無表情のまま黙って立っていて、自分をじっと穴のあくほどに見つめていたりする。

 あるいはダイニングテーブルの上に、大蛇がのっそりと、とぐろを巻いていたりする。

 一日中どこへ行っても、お下げ髪の少女がずっと後ろを付いてきたりすることもある。

 およそ非現実的な幻視も珍しくはない。

 すたすたと眼前を横切る、二足歩行の豚。

 皿の上を優雅に飛び跳ねる妖精。

 そして、祖父も見た、青い虎――

 奇妙なことに多くの場合、それらに幻聴は伴わない。

〝幻視の中で蠢くものたち〟はあくまで視覚的なまぼろしに過ぎず、彼らが患者に話し掛けてくることはないのだ。

 だが五感のうち、人間が外部から受け取る情報は、視覚が実に九割を占めるという。

 つまりは大半のDLB患者にとって〝蠢くものたち〟は、明確に実在するのだ。

 患者たちがいちばん使いたい諺は「百聞は一見にしかず」かもしれない。

 なにしろ目の前にそれ、、がありありと見えるのだ。

 その存在をいくら周囲が否定しようとしても、それ、、が「ない」「いない」と納得させるのは至難のわざではないか。

 それでも「そんなものはここにない」「いるわけがない」「しっかりしてよ」と周囲がむやみに注意すると、ときに患者は怒り出す。

「DLBの介護は難しい」とされるゆえんである。

 楓が介護のためのハンドブックを読んでみると、このようなことが書かれてあった。

 

「患者さんが『おおきな虫が見えるよ』『こわいよ』などと幻視を訴えてきたときには、『気のせいだよ』などと否定したり、『病気なんだから困らせないで』などと突き放したりせずに、手を叩いたりして『ほら、これでいなくなったでしょう。もう大丈夫だよ』などと、優しく声をかけてあげましょう。ほかのことに話題をそらすのも効果的です」――

 

 そういうものなのだろう、とは思う。

 それに、楓に対して怒ったことがいちどもない祖父と揉めるような事態だけは、やはりどうしても避けたかった。

 だからこそ楓は、祖父の病気について深く語ることを避けてきたし、祖父が語る幻視についても、本人の前ではその実在を否定することを一貫して避け続けてきたのだった。

 どだい、患者を相手に認知症だと自覚させるのは不可能に近いことだろうし、もしそれができたとしても、残酷に過ぎるように思うのだ。

 でも、とも思う。

 楓は自分のそうした認識や振る舞いに、割り切れるはずの割り算でなぜか剰余が出てきてしまうような奇妙な違和感を覚えていた。

 それは、あの祖父が認知症になるはずがない、あるいはこのまま知性を失っていくはずがないというような現実逃避的な思い――もっといえば願望めいた思いというのとも、少し色合いが違っているような気がした。

(そう。なにかが違う――)

 でも、その違和感の正体が何なのか。

 今の楓には、なんら具体的に説明することができなかった。

<第3回に続く>

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