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日本の聖と賤: 中世篇 (河出文庫 の 5-2)

日本の聖と賤: 中世篇 (河出文庫 の 5-2)

日本の聖と賤: 中世篇 (河出文庫 の 5-2)

作家
野間宏
沖浦 和光
出版社
河出書房新社
発売日
2015-12-08
ISBN
9784309414201
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日本の聖と賤: 中世篇 (河出文庫 の 5-2) / 感想・レビュー

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松本直哉

被差別部落史に鎌倉仏教を位置づけるところが興味深かった。遊女に語りかける法然はマグダラのマリアとイエスのようだし、肉食妻帯の禁忌を犯して浄穢の垣根を越える親鸞の過激さがいかに権力者にとって目障りだったかわかるような気がする。後継者の蓮如の王法への妥協はこの点で思想的頽廃だったと思われるが、親鸞の革命性は民衆に受け継がれてやがて一向一揆として爆発した。土地に縛られた農民ではなく渡り歩く職人や商人や遊芸の徒が革命的思想の伝播と鼓吹の役割を担い、その遊芸からでた猿楽能が賤民の悲劇に芸術的表現を与えることになる

2018/01/22

ひさしぶり

古代文化が栄えた地に被差別部落があること。律令制の個人の区分が解体されても続いたのは神道と仏教の穢意識? 芸能関係が闇ぽいのは? 疑問に思っていたことや古代芸能の周辺を知れる対談式の本でした。寺社は障害者や賤民を庇護していたと思っていたが、免税代わりに穢がれ仕事(清掃の他死体、汚物処理)に利用していた。猟師、漁業など殺生から逃れられない職業人や賤民にとって「悪人正機」は救いとなり流行し、面白くない旧仏教界が朝廷と組んで法然・親鸞を流罪。古代芸能からの流れはほぼ沼。ただ「鵜飼、阿漕、善知鳥」は読んでみたい。

2023/10/13

fseigojp

大衆歌謡の源流が今様で、大衆話芸の源流が説教だとは目から鱗 

2016/01/08

meow3

日本人の大多数である庶民に仏法を説き、生老病死の苦しみに寄り添ったのは天皇や貴族に認められた大寺院の僧侶ではなく、私度僧である「聖」達であり、彼らは「賎」とされる職業についている者も多かった。関東生まれ関東育ちの自分は部落のことは知識としてしか知らなかったが、現在普通にある職業の多くが「賎」に属するものだったと知りびっくり。因みに自分の職業もそうでした。仏教では殺生戒があるため、生き物を捕まえて売ることが罪になるのはわかるが何故それを買って食べる人の命を生かしているという考え方にはならないのだろう。

2018/10/04

ダージリン

対談としては珍しいほど読み応えがあった。以前から関心があった能や説教節、仏教についても多く語られていて勉強になった。このテーマを扱う本を読んでいつも感じるのは、芸能民なんかへの賤視というのがどの程度のレベルなのかということ。この感覚が今一つ分からない。勿論、賤視のレベルは、職種によっても、地方によっても違うのだろうが。そもそも何をきっかけに賤視されるようになっていったのか、突き詰めると結構怖いところに行き着きそうな気がする。

2020/01/26

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